結論。

2016年4月に、私は「北京オリンピックで金メダルをとります」と宣言し、復帰しました。

宣言をした直後に感じた事があります。

「友達がいなくなった」

それまで仲良くしていたはずだった仲間は遠い存在になったように感じました。

それは私自身の意識が変わったことによる、「住む世界が変わった事」なのだと思います。

失ったと同時に、「その道」に必要な人が次々と現れました。

あれから5年が経ち、私の環境は大きく違います。本当に遠くまできたような気がします。

スポーツの常識を破り、他人からはまるで道を外しているように見えたこれまでの行動も全て、

「そこ」へ向かうための、大切な道でした。

全ての道が、その点と点が今一つの形となって姿を現したように思うのです。

今の社会から聞こえてきそうな「常識」を無視して

これまで走ってきたように思います。

今では自分が何故、この道を選んだのか何となくわかります。

私は多分ずっと、この道の中で「自分のままに生きること」を貫いてきました。

それは、自分だけのためだと思ってきたけど、

そうでは無かったのです。

これまで、本当に信じられない、たくさんの人から温かいメッセージをいただいてきました。

そこには、ご自身の中の何かに気付かれた内容も少なくありませんでした。

ただ、私は私のままにやっていただけで、十分役目を果たしているという事に気づいたのです。

 

 

 

高い目標を公言する事は、とても怖いことかもしれません。

だから私がやりました。

 

 

人から「おかしい」と言われれば、自分の中の光に蓋をしてしまうかもしれません。

だから私は蓋をしなかった。

 

 

母親になったら自分の好きなことを1番になんてしちゃいけないと思うかもしれません。

だからこそ私はそれを1番にしてきました。

 

 

痛々しいものを見るような視線はできれば受けたくはないものです。

だから私は体験してきました。

 

 

嫌われるかもしれないと思い、躊躇うこともありますよね。

だから私が体験してきました。

 

 

社会が産み出した「自分を生きにくい」世界の中、私は自分を生きてきました。

多分、「自分を生きる」世の中に変えていくための、ほんの小さなカケラです。

それが私なのだと分かったのです。

私が自分を生きる時、目の前の人が涙をながします。

その時にいつも感じる温かい気持ち。

私は、何か大きな事で証明する人ではなく、ただ自分を生きる事で、
目の前のたった1人を幸せにできる人なのだとわかったのです。

復帰してから5年。

この時間が今、

振り返ると、

とてつもなく愛おしく

何者にも汚すことのできない、ピュアな大きくて美しい光かもしれないと思うのです。

 

 

ずっとずっと、

大きくて美しい光が何か探してきました。

今、振り返ってみて、

あ、そうか。 と。

歩んできた道。

自分自身の中心。

自分のままに生きている事が。

ここがそれか。とわかりました。

 

今は、正直涙も感動もありません。

ただ、安堵。

そんな感じ。

 

そしてこれからだな、と感じています。

私が歩んできた道は社会の常識から外れています。

認めない人もいるでしょう。

でも、批判を浴びることを恐れて自分を閉ざしてしまったらどうなってしまうでしょうか。

 

自分を生きる事ははじめ、とても怖いです。

生身の自分を晒すことになるので。

もし、一歩踏み出そうと思っているなら、私は応援します。

もし、助けが必要なら手を貸します。

 

私は、人にどんなに傷つけられても、批判されても、認められなくても

今、とても豊かです。

何故なら、自分自身が誰よりも自分をリスペクトしていて、愛しているのを感じているから。

それに、私そのものを大切に思ってくれる人が増えました。

自分を生きる。本来の自分を隠さなきゃ生きていけない世の中なんて普通に考えておかしいです。

 

 

私に出来る事は、ただその背中を見せていくことしかできません。

でも、それが出来るからこれからもやります。

「自分のままに生きる」をただやっていきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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