私の分離と統合の体験

最近は分離と統合についても世の中に広く定着してきているように感じています。

分離っていうのは本来の自分(魂とかハイヤーセルフとか潜在意識など、言い方は色々あります)
から分離し、自分ではないものを体験する事でより深く自分を知るためのステップ。
分離を十分に体験した後はようやく、自分本来と統合していきます。

今日は私が体験してきた「分離」と「統合」について書いていきます。

【分離は生まれた瞬間から始まる】

生まれ落ちた瞬間に、「母親」の胎内から外の世界へ出ます。
これが最初の分離です。

そして次に、イヤイヤ期に入ったり
小学校・中学校と生活していき「社会」を知ります。
その中でだんだんと自我が作られていきます。
自我を知っていく中で、他人とは違うということを学んでいきます。
どんどん分離していくんです。

そして自分の中の正義が作られていき、「これが正しい」「こうしなければ」
という感情が作られていきます。

次第にそれは他人と自分を比べ始めたり、周りの社会に自分を合わせて行ったりします。

こうして自分以外の周りに意識が向いて、自分からは分離していきます。

私の場合、競技者としてプレーしていく中で
特に、「誰よりも」というワードを追いかけていたように思います。

自分以外の外側を意識し、それよりも優れた存在になろうとしていたのです。

しかし、それは自分を見ないことの繰り返しだったのです。
これが私が十分に行なってきた分離だったと言えます。

外を見れば見るほど、本来の自分からは遠ざかり、
誰かが「これができたらすごい」と言ったものをできるように努力したり、
あなたの目標はこれでしょ!と言われたら「そうかもしれない」とまた人に言われたものにエネルギーを注ぐ。

そうして完全に自分とは分離していったんです。

分離を精一杯生きていた頃の私。
周囲と同調しようと必死だったし、応援に答えなければと必死だった。
毎日を一生懸命、目の前にある課題のために生きていた。

全くやりたくもない事を一生懸命頑張ってきた。
色々な事に柔軟に自分を変容させていたような気がする。

でもだからこそ、本当の自分と出会えるのだろうと感じます。

だからこそ、分離を頑張ってきた自分を誇らしく思ったりもします。

【統合が始まった最初の頃】

1度目の引退。

全日本選手権のスタート台で、私はとても緊張していました。

しかし、もうこれで引退かと思うと、
そんな緊張した私がとても愛おしく思えたんです。

「緊張してるね。それでいいよ。緊張していることを伝えてくれてありがとうね。
緊張の私、一緒に最後の試合滑ろう。」

そんなふうにスタート台で自分の内側と会話して、スタートしました。

ゴールして、もう終わったーって思っていたら
奇跡が起き、決勝への進出ができました。

決勝ランは自分へのご褒美のように滑り、最終結果は11位でした。

終わってみると、応援にきてくれた仲間達や先輩は泣いていて
ジャッジしてくれた方も涙を拭いながら「すごかった」と声をかけてくださいました。

私も、気付いたらたくさん泣いていました。

この時、本来の自分と繋がったことで、出た涙だったと思います。
本来の自分を解放した瞬間を見た人にはいつも以上に何かが伝わったのだと思いました。

【本来の自分】

目に写る全ては自分の写し鏡です。
それを「自分だ」と受け入れることで統合できていきます。

ただし、「分離」は決して悪者ではないと感じます。
本来の自分をちゃんとしっかり知る為に分離していくのだと感じます。

私が体験してきて感じているのは、

分離している時の自分は自分以外の外側の世界を軸にして生きています。
ですから、行動が外側の情報を頼りに決めた事だったり
うまくいかなかった時に、自分以外の何かのせいに思えたりします。

でも、その中で十分にそれを体験すると、ある時、
外側の世界ではなく、自分の内側に気づく瞬間があります。

自分の内側の意識に気づくと、それはどんどん加速していき、
力が入っていた部分に気づき、楽に軽やかに生きていいのだと感じます。

力は抜けているのに、自分の真ん中がしっかり暖かい感じです。

この先の時代は、個性が生かされる時代だと言われています。

私ももっと自分を出して思いきってみます✨

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